書きだめ。書き溜まり。

読書と筋トレをしながら考えてみた

今日も精神病と疑われております。

まぁ結局はぼくの日頃の行いがわるいということか…。


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『あなたはこれじゃないでしょうか?(URL:〇〇〇〇)』


ということで、精神病の症状が記載されたサイトのURLを送られてきたことがある。
離婚の理由として例にもあげたが、基本的にそんなことをする人は稀だと考えていた。


しかし、先日、隣の席に座る人(40代女性)から
「もしかしたらメンタル? 心気症(病気不安症)
(URL:http://www.kokorotokarada.net/disease-jiritusinkei.html#shinkishou )」
というメッセージを業務中に頂いた。


前提として状況を説明すると、ぼくのここ2~3ヶ月の間の症状として、食後に腹痛でデスクでうずくまっていることがたびたびある。
それについては、すでに医者にかかっていて「内臓的には問題なし、食事への反応として胃が収縮する癖がついてしまい、胃の収縮に付随して周囲の筋肉が引っ張られることによって、胃痛が発生している」という診断を受けていた。
そして、周りにあまり心配をかけてはいけないということで、その女性にはしっかりと上記の説明をしていた。


にもかかわらず、つい先日このようなメッセージを頂いたということである。


正直、ぼくがまともであるとは言い切れないし、もしかしたらご指摘通り、心気症かもしれないが、気持ちとしては「なんだこのやろう」である。


いつもなら、それで終わりだが、ただ、あれから少し考えさせられてしまった。


■精神病についての考え方が違いすぎる
今回の件もそうだが、これらの話では、他人を精神病だと決めつけたのち、その判断の根源となる情報を探しに行くというアプローチがなされているように思える。


そもそも、彼女が心気症という言葉を知っているとは思えないし、胃痛という症状から心気症に行き着くのは無理がある。
どこか勝手にメンタルの話にこじつけて、そこから、情報収集を初め「心気症」という症状にたどり着いたというのが流れではないだろうか。

 

迷惑にもほどがあるが、ここで思うことが2点。


□精神病ってそんなに適当に扱っていい問題なのか?


ネット上にたくさんの情報が上がっているが実際の病気などは、実証が難しいので医師の診断を元に対処したほうが良い。
そんなことは誰もが理解していることだろう。


ただ、メンタルの話になると、病気かどうかの基準がネット上でもある程度の実例を基に(実際には細かい診断等あるが)表現されることが多い。
今回は、それを持ち出して「これみたいに、〇〇って言ってたじゃないですか」などと言われたが、このように医者でもない人間が自分なりの証拠をぶつけて、適当に実証(納得)してしまうことができる。


結果、他人を精神病呼ばわりしてしまう。
どうも精神病に関する問題を安易に扱い過ぎじゃないかと、ぼくは思うのだが、どうなのだろう?


仮に、ぼくが本当に精神病だったとして、そんな大変な状態の相手に対して、適当な診断をぶつけるなんてどうかしているとは思わないのか。
まあ、思わないからそうしてるんだろうが。


本当にこの病気と闘っている人がいる中、あまりに気軽に扱いすぎでは?


□URL共有ができる環境もよくないのでは?


ただ、少し擁護するのであれば、情報に簡単にアクセスできる、理解せず容易に伝えることができる環境がある。それが、問題とも考えられる。


まだネットが発達していない時代であれば、知識のないことに関して相手に伝えるときの選択肢は「わからないと正直に言う」か、「知ったかぶりで済ませる」か。熱意があるのであれば、「本を読んで内容をまとめて伝える」か「専門家に聞いた話をまとめて伝える」くらいしか、行動の選択肢がなかったのではないかと思う。


ただ、今ではそれに加えて「知らないことを調べて、碌に理解もせず、そのサイトのURLを送りつける」という選択肢が増えた。


「碌に理解もせずURLを送りつける」行為は、内容を理解していない状態で伝える、という点では「しったかぶり」と同じ対応ではあるが、ネットに情報が上がっているという点を持ち出して、自信満々でいられる。
知ったかぶりのように、不安になることがないので、ちゃんと考えるきっかけがない。


また、「本を読んだ人」「専門家に聞いた人」と比べた時に共通してある違いとしては、「自分で考えてまとめたか」どうかの違いがあるが、それも「ネットに書いてるし」と、内容を改めて自分の中でまとめる必要はないし、理解する必要も無いので考えるきっかけがない。


根本的に「考える」機会が無いので、精神病についても深く考えずに、気軽にあつかってしまったのではないかということで、ある程度は環境も悪いかなと(むりやり)。


もちろん、同じ環境に置かれていても、そうはならない人のほうが多そうなので、擁護は仕切れないが。


■ぼくがそんなことも言えてしまう相手であるということ


とはいえ、最終的な問題としては、ぼく自身がそういうことを言われやすいということに問題があるように思える。


仮に、ぼくがゴッドファーザーのヴィトー・コルレオーネみたいな人だったら、そんなことは言われないだろう。
しかし、残念なことにぼくは劇中のチャップリンみたいなキャラクターで日頃生活している。
そりゃ言われてもしょうがない。


これから、自分を変えるとしても、コルレオーネみたいにはなれる気がしないから、見た目はチャップリンでも、より上手な切り返しができるようになったほうが良いなと。


今回は「人を精神病扱いしやがってこの野郎」とやってしまったので、反省が必要だ。
まぁ、相手とは仲良くなろうとは思わないが「あははは~ありがとね~。確かに精神病かもしれないね~。」くらい返せるようになろう。


まぁ、相手とは仲良くなろうとは思わないが。

 

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ぼくは、知識もなしに他人を精神病呼ばわりして平気な人の方が、精神病と闘っている人より怖いよ。