書きだめ。書き溜まり。

読書と筋トレをしながら考えてみた

『料理のお手本』辻嘉一_0011

この本は、1979年12月10日に初版が発売されてた、少し古い本ではある。


そのおかげか内容によっては、例えば冒頭に『旬のものがなぜうまいか、これは言うまでもないことでしょうが、たとえば女盛りと同じことなのです』といった一文が出てきたりするなど、今出版されたとすればひと炎上ありそうな文章が散見される。

 

しかしながら、もちろん食材を巡る環境や、調理器具の発達などによって多少の違いがあれど、料理に対しての所見やアドバイスは、今もなお活用ができるもののように思えた。

 

僕自身はこの本のおかげで、日々の食事に対する考え方や姿勢が大きく変わった。

 

食事は栄養摂取としての側面だけではなく、滋味深い料理を味わえば自分の味覚を鍛えられるし、器と料理の演出を考えることで美的なセンスも鍛えられる。さらに、旬なものを味わうことで、季節を知り文化についても学ぶことができるということを知ったから。

 

お腹いっぱいなれば良いと考えていた満腹即美味時代はおわり、また、栄養摂取ができれば良いと考えていた効率主義時代もおわり。

 

より、自分の感覚や知識を養うような食事をとっていく。
僕は今そういう転換期にしていく。


■MEMO
P11_2『旬のものがなぜうまいか、これは言うまでもないことでしょうが、たとえば女盛りと同じことなのです』

P11_3『旬であれば、味は頂点で、物は店頭に出盛り、値も安く、と、三拍子揃います。』

P13_5『さてせっかく手に入れた良い素材は、なるべく「手を加えずに」食べることを最上と考えてください。』

P14_4『料理は外面よりは、その奥にある「味」が良くなければならず、言い換えれば、心の美しい白粉気の少ない麗人でなければなりません』

P16_3『なるべく手を加えずに、物、その物の持ち味を、いかに活かすかということが、日本料理の真髄なのです。それというのも、日本ほど世界に誇りうる料理素材に恵まれている国は無いからです。四季折々の野菜・果物類、また海や川、湖の魚介類等々、大変な修理位であります。それらの産物は、品種のゆたかなばかりではなく、持ち味もまた優れています。』

P28_3『吸物や味噌汁などの沸騰点に達したときには、ぐうっと量がふえて来るでしょう。この今まさに沸騰しようとする瞬間を「煮えばな」と言います。』

P31_2『この満腹即美味時代は、調味過剰な味だけを美味と思い込んで事足れりとするのですから、まだまだ心のものの味を探ることは望めません。生理的に肉体の要求する味というものは、青年期と中年期とでは、おのずから異なるのです。』

P66_2『温かくした石を懐に抱くという程度の軽い食事、という意味が懐石の字義』

P74_3『江戸の朝は納豆売の声にあけるとありますが、』

P99_3『日本ほど食器の豊富で、種類の多い国は、世界中、あまり例がないのではないでしょうか。まさに複雑多岐といえます。その複雑であるところに、高度の文化性があるのです。』

P110_5『料理のあり方は、御客様本位に考えないで、日常三度の食事をいかに楽しく、愉快に、美味しく食べようかというところが根本なのですから、家庭食事の食器は、どのようであってもよいと思わないで、少しでも家庭生活を豊かに調理と食器についての考えを新たにしたいものです。』

P233_4『それに、営業として専門家が作る料理と、家庭の料理とは、全く別種のもので目的が違います。主婦は、一家の健康な血液を養う滋味深い料理を、愛情を込めて作ることが日々の最も大切な役目でありましょう。』

 

■本のリンク

『料理のお手本』辻嘉一