書きだめ。書き溜まり。

読書と筋トレをしながら考えてみた

「人の悪いところを見るな」とか言ってしまうのが、あなたの悪いところだぜ。

おい。気づきていないだろうが「人の悪いところを見るな」なんて言ってしまうのが、あなたの悪いところだぜ。


勘違いしないで欲しいのだが、ぼくは「できれば、人の良いところを見るようにした方が良い」と考えている。その方が人間関係の中で楽しいことが多くなることは、実感することがある。


ただし「人の悪いところを見るな」はダメだろう。少なくとも2つ以上の意味で、ダメ。


1.「ピンクのゾウ」
2.「あなたは、ぼくがあなたの悪いところを見るのが『悪い』と言っている」


まず、確実にこの2つだけは理解していただきたい。長くなるが、あなたは最後まで読んだ方がいいぜ。


■1.「ピンクのゾウ」
「ピンクのゾウ」問題については、知っているだろうか?いや、正しい名称ではない可能性があるので、まず、下の問いを見てほしい。

 


「ぜったいに、あの『ピンクのゾウ』のことを思い浮かべたりしないでください」

 


そう言われたあなたは「ピンクのゾウ」思い浮かべてしまったのではないだろうか。こちらは「ぜったいに思い浮かべたりしないで」と言っているにもかかわらずだ。


つまり、「ピンクのゾウ」は「〇〇について、考えないでください」と言われれば余計考えてしまうぜ。ということを示した、確か心理学的な標語だっただろうか。


いずれにせよ、あなたは墓穴をボウリングマシーン並の威力で掘っているのである。


そうやって全力で自分の悪いところに注目を集めているにもかかわらず、そこに注目をしたぼくのことを、見下すような態度を取っているってんだ。


それだけで、ゴキ〇リと同等程度に嫌いになってしまうほど悪いと言える。


■2.「あなたは、ぼくがあなたの悪いところを見るのが『悪い』と言っている」
あなたは、気がついていないだろう。


あなた自身がぼくの「悪いところ」をみていなければ、「人の悪いところを見るな」なんてことは言えないはずなのだ。

 


「人の悪いところを見るな」←お前がな!!

 


ということなのだが、ここにさらにトラップがあってぼくが「お前がな!」ということは、ぼくが「人の悪いところを見るな」と言っているようなことになる。


ミイラ取りがミイラに。


それこそ「ひとの良いところを見たほうが良いと思うなぁ」と返せば良いのだが、なんだか、馬鹿さを肩代わりさせられている気がして、釈然としない。


やはり、嫌いだなぁ。関わりたくないなぁ。となる。


先ほどの段階でゴ〇〇リと同程度に嫌いであったが、ちょっとした頭を使っているあたり、確実に飛ぶタイプの〇キブ〇だろう。もう、悪を通り越して、極悪ではないか。


■そのほかにも色々ダメ
さらに言い出したらキリがない。


◽︎「人の悪いところを見るな」がダメな理由ーー
・命令口調
命令される筋合いはない。


・目的がわからない
なんのためにやるのかわからない。


・指示が曖昧
人の悪いところとは?


・ひとのせい

「悪いところ」という自覚があるにもかかわらず、あたかもそこを見た他人が悪いかのように押し付けている。悪いところは自分で治せとは言わないが、他人に命令口調で押し付けてはダメじゃないか?
ーー


本当に、キリがないくらい言える。


ただ、間違ってはいけないのは、単純に、ぼくは「人の悪いところを見るな」と言うのはダメだと、そんなことを言うあなたを見かけただけで逃げたくなるほど嫌いだと考えているだけで、世の中的にどうなっているのかは知らない。


知ったこっちゃない。
悪いやつ飛んでこないでほしい。


■悪いところを見られなければ良いのか?
ぼくは、「良いところも悪いところも見たうえで、それでも一緒にいたい人」といるのが好きだ。


そのなかで、できる限り相手の良いところを見るようにする。というのが、ぼくがギリギリで出来る人付き合いのかたちである。


だいたい、悪いところがない人間なんかいないのに、その中で互いの悪いところを見ないで無かったことにするエセクリーンな関係なんか続くわけがなかろうも。


みんな、字が汚かったり、口や寝相が悪かったり、デコが広かったり理屈っぽかったりする。


ちなみに、それらを全て合体させたのがぼくだ。そりゃもう一分の隙もないほど悪いところで満ちている。


残念だが、仮にあなたが「ひとの悪いところを見ない」と言い張るのであれば、今後ぼくを見ることができない。
もっと万全を期して、ぼくが生息している方角すら見ない方が良い。


ぼくは寝相の悪く最高にかわいい彼女と暮らすぜ。


羨ましいだろう。まぁ「ひとの悪いところを見るな」なんて言っているきみには無理だろうがな。

本当に、会社に行くのにカバンは必要かしら

本当に、会社に行くのにカバンは必要かしら。


使うかどうかわからないノートと、筆箱、財布に数冊の本が入っているカバン。
そのカバンを毎日、会社に持っていって、また、持って帰る。


そのカバンの中身が、会社の業務のために必要なものが入っているのだとしたら、それは、家から会社までその「業務のために必要なもの」を運ぶ業務となって、残業扱いになるのではないか。


基本的には、会社に出社しているのでれば、そこですべて完結している必要があるのではないか。

 


そんなことを言うと「そんなこと言うやつは、社会人にあるまじき。」なんて言われるかもしれないが、よくあの満員電車でみかけるヨレヨレのカバンに”少年ジャンプ”を詰め込んで、会社に向かう社会人様は、仕事に関係の無いものを会社に持ち込んでいるではないか。


ぼくからすると、会社に仕事に関係ないものを持ち込む人間の方が「社会人にあるまじき。」とされるべきである。


この話には関係は無いが、ヨレヨレのカバンに”ヤングアニマル”と”ヤングマガジン”を入れている社会人様も見かけたことが有るのだが、いつか彼らの生態を解明したい。

 


ぼくは会社にカバンをもっていかない。


荷物としては、下記内容である。
スマホ
・財布
・ヘッドホン
(・雨の日は傘)
これが有れば、基本的に何処へだって行ける。


極論、スマホさえあれば全ての機能を賄えるのだが、結局現金があった方が楽だったりするし、神経質なぼくはノイズキャンセルができるヘッドホンが休憩の質を上げたりするので外せない。
とはいえ、傘がある日以外は、手ぶらである。


必要がないから、手ぶらで出社しているのだが、実はそのほかにも大きな理由がある。むしろ、これが無ければ無駄にカバンを持つこともあるかもしれない。


ぼくが手ぶらで出社する最大の理由は、あの全員がほんの少しのスペースを我先にと奪い合う「満員電車」の存在である。


くしくも、そんな修羅の国の乗り物を利用している立場としては、出来ればこの環境を少しでも改善していきたいと考えている。


わかるだろうか。


なんの意味もないカバンを持ち歩くおかげで、赤ん坊1人分のスペースを奪っている。いやそれは、言い過ぎだとして、仮に自分がカバンを持ち歩かないことで、赤ん坊1人分のスペースができるなら、ぼくはそれに越したことはないと考えている。


そして、さらに、同じように満員電車へのカバンの持ち込みを避けられる人が増えたなら、この満員電車も少しはマシになるんじゃないかと考えている。


少なくとも、満員電車で赤ん坊が圧迫されて、泣き叫んで、それに会社員様が舌打ちをするような満員電車はどうにかならないだろうか。


本当に、会社に行くのにカバンは必要かしら。

午前3時”バッキバキ”に目覚めてしまった時におすすめの対処法

午前3時、ぼくはバッキバキに目覚めてしまった。

 

昨日はずっとやりたかった、新しいブログの構想なんかがバシッと決まってスッキリ寝られたので、とんでもなく目覚めが良かった。それこそ、目覚めた瞬間にロフトの下まで布団を投げてしまうほど。

 

しかし、思っていた時間とは全く違い、午前3時。やってしまった。

 

とはいえ、月に1度ずつぐらい、この「唐突な早起き」をやっているぼくとしては、なれたもんである。ここから出社まではゴールデンルーティーンを組んである。

今からそれを紹介しよう。

 

■起床~5:00

この時間が一番大切である。

起床時間によっては、できることが変わるのだが、間違っても二度寝なんかしてはいけない。せっかくのバッキバキに目覚めたエネルギーが無駄になってしまうし、佐藤優さんが言っていたように、二度寝ほど無意味なことはないのである(佐藤優さんが二度寝が無駄だと言っていた理屈は忘れた)。

 

ということで、この時間は二度寝欲へのカウンターかつ、1日の活力になる時間にするのが良い。

 

ぼくの場合は「考えうる一番優雅な時間を体現する時間」としている。

例えば今日の場合は、3時起床ということで、軽くランニングがてらコンビニまでひとっ走りして「アサヒ ドライゼロ」を1本購入。帰宅して、シャワーを浴びて、大好きな「わいわい」のyoutubeを見るという、考えうる一番優雅な時間を体現してやった。

 

この時間の完成度によって、一日の満足度が全く違う。

 

■5:00~通常の出社時間1時間前

優雅な時間を堪能したあとは、「予定を立てる時間」に当てている。

 

毎日予定を確認して行動していることが多いのだが、まれにおきる「唐突な早起き」の際には、直近だけではなく、半年、1年後、3年後、5年後など、長期までの予定を建てる。もしくは、すでに立てていた予定を再調整したりする。

 

なぜそんなことをしているかというと、2つ理由がある。

1つ目は、そうすることで「唐突な早起き」をしてしまった一日のモチベーションを保つためというのと、もう一つは、どうも「唐突な早起き」をしてしまったときは、生活に関して何かしらの違和感がある状態になっていることが多いので、それをメンテナンスしておくのが良いいのでは?という考えから。

 

■通常の出社時間1時間前~出社

この「通常の出社時間の1時間前」に、すでに会社に向かってしまう

家で仕事をするときは、もう初めてしまう。

 

これもすごい発明で、早起きによって間延びした時間を区切ることで、ダラダラせずに過ごすことができる。

ぼくの場合は、1時間前に会社付近に到着すると行きつけの喫茶店に入って、本を読む。心地の良い季節であれば、公園で本を読むこともあるが、今の時期は厳しかったりする。

 

この1時間があるだけで、早起きからの一連のゴールデンルーティーンで盛り上がりすぎたテンションをクールダウンすることができる。出社前に燃え尽きてしまっては元も子もない。

 

ーーー

まあ、どうだろ。

早く起きてしまった日は決まって二度寝してしまっていた人は一度やってみてほしいが、気持ちの良い二度寝を超えるほどの効果を生むには、各個人の試行錯誤が必要ではある。

その、手間を超えるととても良いメリットを感じられるので、それが大丈夫な人はやってみてはいかがだろうか。

 

なお、わいわいの動画は最高に面白いので、傍目から優雅に写っているとは言えないほど笑える。ぜひ、見てほしい。

YY-CHANNEL [YCH] - YouTube

 

では、行ってきます(´・ω・`)

『アルゼンチンババア』よしもとばなな_0015

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「すごく自由な感じと、振り向かずに走らないと壊れてしまいそうな孤独がいっぺんに私のものになっていた。」
ーーー
最近何も書けない日が続いていたのだけれど、この一文を読んで「こんな文章が書けたらな」と思って、そうしたら、どうしても何か書かなきゃとなってしまった。あぁすごいなとしみじみ。吉本さんといえば、吉本隆明だったのだけれど、ここにきて、よしもとばなながぼくの中で盛り上がり盛り上がり。
 
まぁこの小説の中では本当はなんともないただの一文なんだけどね。
 
「とても」じゃなくて「すごく」で。
 
「気分」じゃなくて「感じ」で。
 
「どうしようもない孤独」じゃなくて
「振り向かずに走らないと壊れてしまいそうな孤独」で。
 
「私はずっとそんな心情だった」じゃなくて
「いっぺんに私のものになっていた」なんだもの。
 
「とても自由な気分と、どうしょうもない孤独。私はずっとそんな心情だった。」
じゃなくて
「すごく自由な感じと、振り向かずに走らないと壊れてしまいそうな孤独がいっぺんに私のものになっていた。」
なんだもの。
とんでもないじゃないかって。
 
一言一言がドンピシャで。全体としてもまとまって。
あぁ良い。なんだかすごく感動しているよ。 
ーーーーー
ぼくもこんな文章がかけるようになりたい。
 
 

『変身』カフカ_0014

※ネタバレになるよ(古典だからネタバレもなにも…と思う人は読んで)
 
どうも感想がまとまらない。
まとまらないので、読んだ流れのままに文章を書いていこうと思う。
またどこかのタイミングで読み返したくなる本だった。
 
■読みはじめ
目覚めると「巨大な褐色の虫」になっていました。
そんなまさか。転生もののラノベでは目覚めると美少女やら赤ん坊やらになっているものだが。仮にそうではなかったとしても、ぼくが物語を書くとしたら、そんな設定じゃ始めない。
 
「巨大な褐色の虫」 になったところから初めたそれは、物語として成り立つのだろうか?
ーーー
■中間
虫になってしまった主人公グレーゴルは、作中で常に何かを考えている。
 
これは夢ではないのか?
虫になったいう事がばれないようにするためには?
仕事はどうする?
家族はどうなる?
この虫であることで家族が不安がることを最小限にするためには?
 
何かにつけて考え続ける彼の頭の中を覗けるぼくから見れば、彼はまともな人間(虫)なのでは?と思ってしまう。ただ、外観は恐ろしい「巨大な褐色の虫」なのだ。それ故の悩みもあるが、それまでの生活で見てこなかった問題が顕在化(金銭の問題など)しているという点が面白い。
 
虫になってやっと考えられるというか、見えてくることもあるのかと。
ーーー
■終盤
グレーゴルは虫になってしまったのか。思考がその体をもとにして巡っている。
 
壁を自由に這い回れるように、家具の撤去を望んでみた端から、自分自身の思考が虫のそれに変わっていっていることに気づき狼狽する。その瞬間は大変恐ろしいことだとぼくは感じたが、その思考すらも続きはしなかったようだ。
 
そして、空腹のままに思考も削がれていく。その流れの中にありながら悲壮感がないのが気になる。
ーーー
■読み終えて
『自分が消えてなくならなければならないということにたいする彼自身の意見は、妹の似たような意見よりもひょっとするともっともっと強ものだったのだ』の一文が書きたかったがゆえの物語なのではなかったのか、と思った。
 
自分の死によって、大切な家族が幸せになるという物語を書きたかったのではないか
 
そのために、グレーゴルは「巨大な褐色の虫」にならなければならなかった。
そんな風に考えて、それでも分解しきれないもやもやがある。
 
もう一度、違ったタイミングで読み直してみたいと思った。
ーーー

歩きタバコをする人を『可哀想』で片付けること。アドラー心理学の課題の分離について。

自分が怒っている・ムカついているほとんどのことは「相手を可哀想と考える」で片付けられることに気がついた。大発見である。
 
その大発見の成果とそこに行き着くまでの思考の過程、それとアドラー心理学の『課題の分離』についてぼくが誤解していたことを書いていく。
 
怒りの処し方について、一つの参考になれば。
 

■怒りを可哀想で片付ける方法

ぼくはいつも何かに怒っているのかもしれない。例えば、自分の目の前で歩きタバコを始めるおっさんに怒っている。
 

□ビフォア:ぼくの今までの解釈

社会的に「体に害があるもの」と明示されている「タバコを吸う」という、いわゆる「緩やかな自殺」を行うのは個人の自由によるものだが、それを他人を巻き込みながらやってしまう歩きタバコ」はとんでもない迷惑行為である。
 
人間失格の葉蔵さんと恋人との入水自殺みたいなものは、その良し悪しにかかわらずある意味意義があるというか、それこそ物語になるようなことではあるが、全く知らん”きたないおっさん”と自殺させられていると解釈したときのぼくの気持ちは、途方のしれない虚しさと怒りしかない。
 
とはいえ、歩きタバコをしているおっさんなんて注意をしたら何をしだすかわからないし、そもそも関わり合いたくないと言う点もあり泣き寝入りしていた。いつも怒りだけは無くならず。
 

□アフター:「可哀想」で片付ける

歩きタバコ」は、立ち止まってタバコを吸うことが出来ない人がやることだ。
タバコを吸える年齢になっているにもかかわらず、たった5分の余裕を生むための時間のやりくりの仕方を学ぶ機会がなかった人か。もしくは、移動の時間にしかタバコを吸う時間がないような超過酷な生活環境に置かれている人か。
そんな可哀想な状態にもかかわらず、さらにタバコ依存症なのである。タバコの機能(リラックス効果みたいな錯覚)を発揮させたいのであれば、5分止まってリラックスしながら喫煙をして、その後急いで移動したほうが良いなどという判断もできなくなっているのだから、他の人生における判断についても大丈夫なのか怪しい。また、そもそも、そんなとんでもない生活環境にあるにもかかわらず、金銭面、健康面でもこれからさらに重圧がかかっていくのだ。可哀想で仕方がないので、さらに怒りつけるのはやめておこう!!
 
このように、「相手が可哀想である」として片付けようとした場合、その理由は考える端から山ほど出てくる。「歩きタバコ」くらいであれば楽勝で、「可哀想すぎるから怒るのはやめておこう。」まで行き着くだろう。笑
 

□タバコの他にも活用できる「可哀想』。

例えば、他にどんな怒りに対して僕が当てはめてみたか、書いておこう。
 
・騒音を鳴らしながら走るクルマやバイク
→お金がなくて、静かに走るバイクが買えない人。もしくは、修理をする金がない人。可哀想!!
 
・満員電車で顔の前に新聞をバサバサしてくるおっさん
→どうしでも電車の中で新聞を読まなければならない病気。もしくは、出社ギリギリに読まないとすぐ忘れてしまい新聞の内容以外に話題がないので困ってしまう人。可哀想!!
 
・馬鹿で威張っている先輩社員
→馬鹿なので威張っていなければ存在感がない人。もしくは、馬鹿だということがバレるのを恐れて威張っている人。可哀想!!
 

■怒らない練習など、似合わない

それまで全力で怒っていたことがあって、ただし、それに対してどうのしようもないというか、目に見えている解決方法(諦める・懲らしめるなど)では満足行かないところまで行って、怒りがモヤモヤと漂っていた。
頑張って仮に「諦める」とした場合は何が起こるかというと、それから慢性的に自分が我慢しつづけなければならないのがストレスで。お坊さんが『怒らない 禅の作法』という本を書いていたが、それではどうも根本的な解決ではなく、ふつふつと怒りがぶり返してしまう。
 
だから、どうしても根本的な解決が必要だということで考えていた。
 
そこでまず気がついたのは、それまで考えていた手段は「自分には似合わない」ということだった。どうも自分が被害者というか、自分のことを可愛そうだと思い続けるようなことが難しくて、どうしてもやっつけるというか、頭を使って根本的な処理で他にも流用できる法則を見つけたかった。
 
何日かぼーっと考えてぽっと思いついたのが「可哀想だな」ということだった。
「可哀想」で処理すれば、自分が惨めにはならないし、相手に危害を加える必要もない。
そして、情けをかけたい相手であれば、おせっかいとして手助けできることもあるかもしれないし、そうでなければ、おせっかいなのだから関わらないという判断もできる。
 
本当に良い大発見だった。
 

■『嫌われる勇気』アドラー心理学の『課題の分離』

「可哀想で考えればいいんだ」となったあとで気づいたことだが、ぼくは『課題の分離』の理解を間違えていたなと。
 
『嫌われる勇気』で読んだアドラー心理学には、『課題の分離』という考え方があって「これは相手の問題」で「ここからは自分の問題」だと、課題を対応する人間で分ける考えがあるのだけど、これが難しくて中途半端にほっといていた。ただ、今回改めて『課題の分離』が大切だなと思った。
 
歩きタバコでは、歩きタバコをやめて欲しい」という自分の願望があった。課題の分離が出来ていなかった。
そしてその願望を叶えられない自分の至らなさを怒りで処理しようとして、その怒りすらも相手に伝えられない自分の至らなさにさらに怒りを感じるという無限ループだった。
 
この問題に向かう初期の段階で一度「課題の分離をしなければ」と考えていた事があったのだが、できなかった。
 
それがなぜ出来なかったのかというと、『課題の分離』を「課題の解決のために相手を登場人物に入れてはいけない」と勝手に考えていたところがあって、例えば「歩きタバコをするような人が通る場所を歩いている自分が悪いから歩かないようにしよう。」としたり、「相手のことを考えてはいけない」として、全部自分の中身で怒りを処理しようとしていたので、とてもしんどくなってしまったから。
 
でも、肩の力を抜いて考えてみると簡単で「ああ、可哀想でいいや。」とおもって。
別に『課題の分離』でも、問題の解決に相手を利用してはいけないと言っていない。また、相手のことを考えてはいけないとも言っていない。課題の分離は「相手に行動を求めずに解決しましょう」ということだなということで、腑に落ちた。
 
 
 
何れにせよ、ぼくはまだまだ人間として未熟ということか。
改めて、『嫌われる勇気』読み直そうかしら。
 
■本

『石川くん』枡野浩一_0013

この本は、朝倉世界一さんが表紙と挿絵のイラストを描いているということで、もうジャケ買いというか表紙買いというかたちで購入した。

 

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もちろん作者が升野さんだったということもあるが(もうしわけ)、朝倉さんの漫画が好きで『デボネア・ドライブ』とか『フランス県こわい城』などは、何度も読んだ。朝倉さんはもうダメな人を書くのが上手というか、絵の雰囲気がもうダメな人感が溢れてて好きだ。笑


そして、今回読んだ『石川くん』。やっぱり彼も、ダメな方の人間でして。
そのダメ感が、朝倉さんのイラストとマッチしてしまっているこの本はとてもいい。


ちなみに、この本の『石川くん』というのは、『石川啄木さん』のこと。
かの有名な『石川啄木さん』を『石川くん』などと呼び捨てにするなどなんたる不敬!!となる人もいるかもしれないが、読めばわかる。「あーこれは、石川くんですね」となる。場合によっては「『おい石川』なんかでも良かったのでは?」となるかも知れないが、人としての可愛らしさみたいなものが溢れている啄木さんのことをみんなはどうも『石川くん』と呼んでしまう。
そんな感じに、知らなかった『石川啄木』をグッと近づけてくれて、近くなり過ぎたところでも嫌いにならない『石川くん』という落とし所をこの本は用意してくれている


それは、そもそも石川くんに人間的な魅力があったという事と、升野さんが石川くんの事をぼろかすに言いながら「実はこの人石川くんの事好きなんじゃないか」と思わせるツンデレっぷり、肩の張らない朝倉さんのイラストによる絶妙なバランスによるものではないかと考えている。


ーーー
石川くんは天国か地獄で、
激怒したり泣きぬれたりしてるかもしれないけど、
死んだ人には口がないんだし、
黙っててもらいます。
文句があるなら、生き返ってみてください。
ーーーp15


まぁいろいろ書いたが、石川啄木はダメ人間で石川くんなのである。


ちなみに、本の内容としては、升野さんが「石川くんになった私」で書いた石川くんの短歌の現代口語訳と、解説をして、解説がてら石川くんの事をいろいろと暴露するという内容になっている。


ーーー
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買い来て
妻としたしむ
ーーー
友達が俺よりえらく見える日は
花を買ったり
妻といちゃいちゃ
ーーー


ーーー
一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと
ーーー
一度でも俺に頭を下げさせた
やつら全員
死にますように
ーーー


ーーー
その膝に枕しつつも
我がこころ
思ひしはみな我のことなり
ーーー
ひざまくらしてもらいつつ
俺がふと考えるのは
自分のことだ
ーーー

これらに続く解説、というか暴露は朝倉さんのイラストと一緒にマイルドに読んでいただければ。


■『石川くん』枡野浩一
https://www.amazon.co.jp/dp/408746153X/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_H6ZPCbMHX1985