書きだめ。書き溜まり。

読書と筋トレをしながら考えてみた

大人なんだから問題の終焉。ーとりあわない。が正解。ー

今回は、あまり気持ちの良い文章ではない。

終始馬鹿にしている。

ただ、アホな「大人なんだから」問題の解決には役立つと良いなと。

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ぼくの中で、何年かに一度この『大人なんだから問題』が起こる。

 

『大人なんだから問題』とは、つまり「大人なんだからってなんやねん?」と、考えさせられてしまって、そればかり考えてしまう問題のこと。


その問題が起こる度に「いや、自分は子供でいい」とか、「大人を語るお前を、私は大人だとは思えない」などと反発をしてきたが、ここに来てまた別解を得た。


今日はそのことについて書こうと思う。


結論としては「取り合わない」が、正解かなと。


■考えるきっかけ
この歳になってまだ言われるのか?と思うが、今回も単純に「大人なんだから」とご指導頂いたというのが、考えるきっかけとなった。


詳細の記載は避けるが、ざっくりいうと、会議の席でのぼくの仕事の報告に対して、前任者からの無責任な発言(ぼくの主観)を受け、我慢できず怒ってしまったことが発端である。
そして、ぼくの発言を受けた前任者から「せっかく、ありがたいアドバイスをしてやったのに、それに対して怒るなんてお前の聞く態度が悪い」。「仮に、相手が無責任な発言をしてきても、それは『大人なんだから』怒るなよ」という、ありがたいご指導をいただいたという、流れである。


最終的には、ぼくが一方的に謝罪をして終わったのだが、釈然としないので、ここで整理をしたいと考えている。


■「大人なんだから」をつくるもの
今回の件とこれまでの「大人なんだから」を思い返すと、いくつかの要素を伴って生成されていることがわかる。
それらを分解していくと「大人なんだから」と言われて湧き出る感情も、その生成元が快いものじゃないから出てきてるんだとわかる。


□要素1. 完全な上から目線
「大人なんだから」は、自分のことを『おとなである』とした状態かつ、相手を『おとなではない』とした場合においてのみ言える言葉である。


そもそも、18歳を超えたらおとなであるとも言えるので、逆に相手を『おとな』としては認めませんよ。という宣言として受けとることもできる。


「大人とは?」みたいな話を抜きにしても、その発言は相手のことを見下していない限り出ない。
そして、残念なことに他人を見下すための根拠自体が、自分は「大人だから」という意味もない言葉なので、純粋に「見下しています」という情報しか残らない。


だから、腹がたつのだろう。
他人に見下されるのを好む人は居ない。


□要素2. 本人が抑圧されている
だいたい『大人なんだから』という発言の前後には、「俺だって・・・。」「私だって・・・。」という言葉がついてくる。
そこから冷静に聞いているとわかると思うが、結局言っていることは『 私も我慢しているから、あなたも我慢しなさい』ということでしかないことが多い。
本当はそれだけが言いたいことなのだろう。 
それは、大人がどうのこうのは全く関係がないが、本人は気がついていない。 


言い換えると、そもそも抑圧されている本人の鬱憤が、自分より立場の下(見下している)人に対して露呈しただけとぼくは考えている。
それは、本当に憐れで、見ている方が惨めになるほどかわいそうではあるが、その矛先が自分に向かうとなると話は別。


そんなものをぶつけられて、喜ぶ人間は居るだろうか。
それらを受け止められるほど、ぼくはできた人間ではない。


□要素3. 無思考
今の社会で「大人なんだから」といった、何かしらの型にはめて相手に押し付けるような高圧的な態度を取るのは、危険だ。
それは、ハラスメントの観点からも、または、その指摘が曖昧すぎるがゆえに、そのまま自分に返ってくることも踏まえても。


考えれば考えるほど、単に「大人なんだから」という発言は危険で、ぼくは絶対に言いたくない。
当人は、単純に知ったセリフを吐いただけというのは見てわかるが、そのセリフを吐いたからには、責任がある。


それこそちゃんと「大人の対応」を求められたのであれば、ちゃんと法律や規則に則って対処するという話になるとおもうのだが、そうなると弱い立場にいる相手の方が強い。
大人の対応をされて困るのは「大人なんだから」と暴論を振りまいている自分の方だと考えたことは無いのだろう。


いずれにせよ、「大人なんだから」なんて発言した瞬間から負け戦で、大ごとにしないように周りに気を使われているのは、哀れでしかない。


高圧的かつ哀れな人を気づかう時ほど、面倒なことは無く、そんなことをさせられて喜ぶ人は居るだろうか。


□要素4. 無責任
基本的に「大人なんだから」とともにうながされる行動を実際にやってみたところで、メリットがあるとは考え難い。むしろ、デメリットである事が多い。


なぜなら、「大人なんだから」と言っている本人も、「大人なんだから、しょうがなく」「大人ってこういうものだから」といった、我慢と無思考からやっている事だからだ。仮に、メリットがあるならそんな言い方はしない。


端的に言うと、「適当なことを言っている」だけなので、そもそも『発言に責任を持つ』という発想がない。


他人にデメリットを押しつけて「こういうもんだから。」と言う無責任な人が『大人』を語っているのだから、大人という言葉の価値を暴落させているのは、こういう人達なのだろう。


聞くのはいいが無責任。対応に困る。


■「取り合わない」
「大人なんだから」がうまれる要素を4つあげたが、分解したものを合わせると、「上から目線で、他から抑圧された鬱憤をぶつけるための、無思考かつ無責任な発言」ということになる。


「大人だから」という発言は、いかにとんでもない発言だったということがお分かりいただけただろうか?(まぁ、分解して貶して、組み立てたら大体のことは同じ結論に行き着くが。)


コレに対する個人の対応としては、「取り合わない」が正解である。


「上から目線で、他から抑圧された鬱憤をぶつけるための、無思考かつ無責任な発言」をする人は、つまり『錯乱している』のだから。


その証明に、30歳にもなる相手に「大人なんだから」などと言っている。あわわわわ。


取り合ってはいけない。関わってはいけない。


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この文章を書きながら、ドグラマグラを読み直している気分になった。


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