書きだめ。書き溜まり。

読書と筋トレをしながら考えてみた

【知的謙遜について】自分が知らないことを知ることの大切さ

メンタリストDaiGoさんの本で知った言葉「知的謙遜」について考えてみた。

知的謙遜ってのは『自分が何を知らないかを知っているか?』ということで、その明確さで「この人は知的謙遜の能力が高い」といった使われ方をする。もともとどこで使われていた言葉なのかはわからないが、調べると企業における能力分析みたいなところで出てきたりする。

 

■知的謙遜が出来るという事は
企業で言うとGoogleが知的謙遜を採用の尺度にしているという記事を見かけたが、知的謙遜が出来る人を想像するとその基準は間違いではないように思える。

知的謙遜ができるという事は、自分が知らないという事を知っているという事。つまり、自分の知識を棚卸し出来ている人、物事を学ぶ準備が出来ている人ということとなる。
逆に、この知的謙遜がない人は、自分の知識を棚卸し出来ずに物事を「知っている」「出来ている」と思いこんでいる人、もしくは端から諦めて知ることを放棄している人ということとなる。

両者の間には大きな違いが有って、その要点を絞ると“この人は成長ができるか?”ということになると僕は考えている。

企業でいうと、学ぶ準備が出来ていない人が学ぶ準備が出来るまで待つより、学ぶ準備が出来ている人を採用する方が効率がいいので、Googleの基準は間違いではないだろうということだ。

 

■知的謙遜を有効活用するためには
『じゃあ、知的謙遜しようか。』ってなる(?)と思うが、ただやればいいということではなく、ちゃんと知的謙遜を有効活用するためには(?正しい言い回しか?)、3つの要点があると僕は考えている。

1.目的をもつこと
2.現状を整理すること(Outputする)
3.現状を受け入れられること

□1.目的を持つこと
知的謙遜は、何かしらの目的を持って動くことから始まると考えられる。
何かしら目的を持って対象に取り組む際は、現状の自分を知っておく(棚卸しする)必要があり、それが知的謙遜の始まりになる。

仮に、目的なしに知的謙遜のようなことをやってみたとしても、殆どが役には立たないだろうと思われる。
例えば、料理をしようとしたときに僕は「〇〇を作ろう」→「作り方を知らないな」→「作り方を知ろう」となるのだが、それは「〇〇を食べる」という目的のための知的謙遜(今回の場合は「作り方を知らないな」)である。
ただこのとき、目的なしに料理について考えると「物質って何で出来ているのか知らないな」とか「料理っていつの時代から有ったのか知らないな」なんてことも思い浮かべることが出来る。これらは「〇〇を食べる」という目的に対しては、ほぼ無駄であり、そのことを考えている労力も無駄である。
ということで、まずは労力を最小限に抑えるため、目的を持つのが良い。

□2.現状を整理すること
上記の例にもあるが、目的を持って行動を始めたときに一旦、自分が今の知識量でそれを達成できるのか?を考える必要がある。
それも、自分の労力を最小限に留めるためであるが、重要な点としては「なんの知識をつければ次に行けるのか?」を明確にすることが重要だ。

先の例でいうと「〇〇を作ろう」が「〇〇を食べる」まで達成出来ていないとすれば、その過程のどこかで知識不足が起こっていると考えて良い。
今回は「作り方を知らない」で有ったが、作り方を知った後でも、そのままスムーズに目的達成に行き着くわけではない(食材はどこで買えるのかわからない等)。そのため、都度現状を整理して、知識謙遜→知識の習得→実行をやっていく必要がある。

□3.現状を受け入れること
上記2点を行ったとしても、知的謙遜をしたとは言い難い状態がある。それは「自分は〇〇を知らない」ということを受け入れず、そのままの知識で目的を達成しようとしている状態。
この状態に陥った人は、結局、目的を達成できないのだが、その要因は自分自身の無知ではなく、その他何かしらの要因(他人のせい、自分の努力不足、等)によるものだと考えて処理してしまう人が多い。
この状態に陥ってしまった場合、再度知的謙遜をする流れに乗ることが難しくなりさらに抜け出すのが難しくなる。
そういった状態に陥らないためにも、常に自分自身の知識量について見直し、受け入れる必要がある。

 

■知的謙遜がない人とはかかわらなくて良い、かな。
あえて「この人は知的謙遜がないから避けよう」ということは無い。
ただ、今までの自分の行動を見直すと知的謙遜がない人から逃げるようにしているように見える。
知的謙遜がない人がどういう人かというと、そもそも自分が「出来ている」という認識しか持っていないため、話はほとんど通じない。
むしろ、余計なことを指摘するなと攻撃されることもある。

そういう人は仲良くできないので、逃げる。仕事では余計に被害を生むことがあるので、全力で逃げる。

急に知的謙遜が出来るようになったとして、

 

■何を言いたいのかというと「自分は何を知らないのかを知る能力も大切だよ」ってこと
色んなとこで「謙虚」であることの大切さについて言われているが、その内実はこの知的謙遜について言っているのではないかと考えている。
どんなに知識があろうと、自分の知識を顧みない人間は成長のしようがない。

そういう意味では、自分の知識をつける前に、自分が何を知らないのかを知っていることの方が重要だったりするのではないだろうか。
まずは、目的を持って、自分の知識の棚卸しをしてみよう。

 

■参考
『週40時間の自由をつくる 超時間術』メンタリストDaiGo
『ワーク・ルールズ!―君の生き方とリーダーシップを変える』ラズロ・ボック